アユタヤ時代(アユタヤ前期)
417年にわたって繁栄したアユタヤ時代にはかつて5つの王家が存在していました。
ウートーン王家、スパンプリー王家、スコータイ王家、プラサートトーン王家、バーン・プルールワン王家です。
33代も続いたアユタヤ王朝は、初代はウートーン王家のラーマーティボディ1世(はっきりとした出身は残っていませんが、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンを1351年に建立したと言われており、今も多くの信者たちの祈りの場となっています)から始まりました。
この町を、クルンテープ・タワーラワーディー・シーアユッタヤーと命名しました。
2代目は、ウートーン王家のラーメースワンです。
クメール帝国の都であるアンコール・トムを攻撃したものの失敗に終わり王を退くこととなりました。
3代目は、スバンブリー王家のボーロマラーチャティラート1世です。
1378年にスコータイ朝を降伏させアユタヤの属国とし、1388年にはアンコール・トムを攻撃します。
そして、その年に次の王となったのはスバンブリー王家のトーンランでした。
しかし、この4代目は即位してわずか7日でラーメースワンに処刑されてしまいます。
その後5代目は、ウートーン王家のラーマラーチャーティラーとなります。
スバンブリー王家のインタラーチャーティラート2世が5代目の王を追放したことにより6代目となります。
7代目はボーロマラーチャティラート2世です。
この王はアンコールを占領しカンボジアから多数の住民を連行してきました。
これにより、政治や芸術面においてアンボジアの影響が強まることとなりました。
ワット・ラーチャブーラナやワット・マヘーヨンの寺院が建てられたのもこの時期です。
8代目もスバンブリー王家で、ボーロマトライローカナートです。
在位は40年で、アユタヤ王朝の中で最も長いと言われています。
この王は、サクディナー制(水田の面積で社会的地位をあらわすもの)を定め、他には中央官制の整備も行いました。
また、ウィハーン・プラモンコンボビットという大仏の製作も行いました。
以上が、アユタヤ前期の紹介となります。