アユタヤ王朝
タイの歴史は、BC3〜1238年まで古代・中世、1238年から1448年までスコータイ王朝、1351年〜1767年までアユタヤ王朝、1768年〜1782年までトンブリー王朝、1782年〜1932年までラッタナコーシン王朝、そして、1932年からタイ国となっております。
アユタヤ王朝は、タイ中部を中心として展開していった王朝です。
創設者は、ラーマーティボディ1世(ウートン王)です。
ウートンとは、金のゆりかごという意味でタイの中部ではこの名前を持つ王は多かったと言われています。
ラーマーティボディ1世は、仏僧を招いて国内統一のために小乗仏教を国内の宗教としていました。
小乗仏教は、仏教の分類のひとつであり、この他に大乗仏教などもあります。
他に、三印法典(ダルマシャスートラ)を整備し、19世紀ごろまで基本法典として機能していました。
現在のタイという場所は、位置的にまわりの国々の中心にもあるという利点を生かして貿易によって栄えました。
アユタヤ王朝時代は、西洋との貿易を活発に行い莫大な富を蓄えたと言われています。
貿易により他の国からいろいろな文化も取り入れることとなり、アユタヤ時代の文化はその影響もあり大変華やかなものであったと言われています。
しかし、1767年にシンビューシンによって滅亡します。
このとき、アユタヤの町は壊滅状態となってしまったのです。後の王タークシンはアユタヤの復興は諦めてしまいます。
現在のアユタヤには廃墟となった遺跡が残されておりますので、当時の面影を感じることができるでしょう。